2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公「渋沢栄一」を訪ねてきました!
こんにちは、にーさんです。
今回は埼玉方面の用事に便乗して、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である「渋沢栄一」を訪ねてきました。
目的地は「渋沢栄一」が生まれ育った「血洗島」がある深谷市。車でのルートは東海北陸道「関IC」から有料道路に入り、東海環状道「土岐J」を経由して中央道、一般道を通り、上信越道「佐久南IC入口」から「花園IC出口」まで総距離約350km、時間にして約6時間の道のり。初めて通るルートなので、車の運転も退屈にならずに楽しかったです。
「渋沢栄一像」
まずは所用の中日を利用して、JR深谷駅からぼっちスタート。早速、「青淵(せいえん)広場」にある「渋沢栄一像」がお出迎え。たまたま近くにいた老夫婦から”青淵”って何て読むのかと聞かれて”せいえん”ですよとお答えできました。青淵の由来はまた後ほど。
「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」
「渋沢栄一論語の里 循環バス」に乗ろうと思い、JR深谷駅内にある観光案内所に向かったところ、最終便が出てしまったということで仕方なく「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」までタクシー利用(約2千円)。この2階で「尾高惇忠」始め「渋沢栄一」「渋沢喜作」数名が高崎城乗っ取りや横浜の外国人居留置焼き討ちなどの謀議を成していたのかと思うと感慨深いものがあります。
「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」 | |
住所 | 埼玉県深谷市下手計236 |
開館時間 | 午前9時~午後5時 |
休館日 | 年末年始(12月29日~1月3日) |
問い合わせ先 | 渋沢栄一記念館 電話048-587-1100 |
「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)生家」から「渋沢栄一記念館」までは約800メートル。「渋沢栄一記念館」から「旧渋沢邸「中の家」」までも同じく約800メートル。十分に歩いて移動できます。位置関係はこんな感じです。
「渋沢栄一記念館」
「鹿島神社」に寄りつつ、「渋沢栄一記念館」に到着。案内してくれたスタッフの方から聞いた話ですが、渋沢栄一(以降、栄一と呼ばせていただきます)は身長150センチほどの小柄な体格だったようです。それでもページTOPの「渋沢栄一アンドロイド」は実物大ということなので見た目通り小柄ではありますが、何かそれを感じさせない迫力はありますよね。
「渋沢栄一記念館」 | |
住所 | 埼玉県深谷市下手計1204 |
開館時間 | ・資料室 午前9時~午後5時 ・講義室(アンドロイド) 午前9時30分~午後4時(最終講義は3時30分から) |
休館日 | 年末年始(12月29日~1月3日) ※ただし、清掃等により臨時休室がありますので、最新情報はHPでご確認ください。 |
問い合わせ先 | 渋沢栄一記念館 電話048-587-1100 |
「青淵公園」
「渋沢栄一記念館」を後にし、「旧渋沢邸『中の家』」まで続く「青淵公園」を歩きます。栄一や喜作もこの道を通ったのでしょうか?栄一が育った「血洗島」は藍づくりが盛んな地で、もちろん栄一の生家も生粋の藍づくりの農家でした。この「血洗島」という土地は、利根川の氾濫で土石が堆積し作物が育ちにくい環境だったようです。そんな中でも人々は、砂が多く少し粘土が混ざった土によく育つという藍の特性に可能性を見いだして藍づくりを始めたという、まさにあきらめない「渋沢栄一」そのものの生き方に繋がっているようです。
利根川が “暴れ川” だったから
江戸から明治にかけてたびたび氾濫が起きた利根川。河川から押し流された土砂が堆積し、川沿この土地はわずかに高くなりました。 砂が多く、少し粘土が混ざった土は藍がよく育ちます。 当時の人たちは、その特性を理解して藍づくりの 可能性を見出したのです。
出典:「深谷と藍」~藍づくりのはじまり
栄一の雅号「青淵(せいえん)」の由来は、栄一の生家の下に淵があり、その家を「淵上小屋」と呼んでいたことから、栄一の従兄弟であり学問の師でもある「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)」が「青淵」と名付けたと言われています。(参照:公益財団法人渋沢栄一記念財団「渋沢栄一ゆかりの地~「青淵由来之跡」碑除幕式」)さぞや、青々とした淵だったのでしょうね(^^)
「旧渋沢邸『中の家』」
ようやく最終目的地の「旧渋沢邸『中の家』」に到着です。「中の家」とは「なかんち」と読み、分家した各渋沢家の位置関係に由来しているそうです。そういえば、にーさんも子供の頃、隣に住んでいた祖父母の家を”はなれ”と呼んでました。そんな呼び名なのでしょうね。ここまで来て、なんと残念ながら工事中。工事期間は令和5年3月末までの予定だそうですが、敷地内には入れました。さすがに藍づくりだけでなく買い付け販売もする豪農だったということから、立派な庭付きのお屋敷です。いつかまた再訪したいと思います。
「旧渋沢邸『中の家』」 | |
住所 | 埼玉県深谷市血洗島247-1 |
開館時間 | 午前9時~午後5時 (入場は午後4時30分まで) |
休館日 | 年末年始(12月29日~1月3日) ※工事中のため最新の情報をHPにてご確認ください。 |
問い合わせ先 | 渋沢栄一記念館 電話048-587-1100 |
Oyakusoku(おやくそく)
帰りは徒歩で最寄りのJR岡部駅まで。その気はなかったのに、駅前にいい佇まいの居酒屋が・・・。家族には「帰りが遅くなるので食事は気にしないで」と言いつつ、お約束のぼっち飲みです。店の名前は「正太郎(ショウタロウ)」。飲み物も18時前のハッピアワーで安く、「串焼きおまかせ」「まぐろと深谷ねぎの和え物」何でもうまい!近くにあれば毎日行ってしまいそうな名店でした。一番写真が多いのはご愛敬(^_^;)
「正太郎(ショウタロウ)」 | |
住所 | 埼玉県深谷市岡2661 |
営業時間 | 昼 11:30~14:00(L.O.13:30) 夜 17:00~23:00(L.O.22:30) |
定休日 | 無し ※ランチ営業は平日限定 |
問い合わせ先 | 048-585-8899 |
「内山峡之詩」
帰りがけに、昭和15年(1940)断崖絶壁に建設された「渋沢栄一」の文学碑「内山峡之詩」がある内山峡に寄りました。「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)」と合作した「巡信紀誌」の中で藍玉を販売するために内山峡を訪れた時のことを詠んだ漢詩です。美しくも険しい内山峠を登り、信州佐久に向かう心情が、漢詩には込められているそうです。2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」のタイトルはこの漢詩の一節「勢いは青天を突きさすようで、うでまくりして登り、気持ちは白雲を貫き通すようで、手に唾をして行く」(訳)から引用されています。残念ながら立入禁止のため、お宮に上って近くで石碑を見ることはできませんでした。今でこそ整備されていますが、こんな断崖絶壁に石碑を彫るなんて大変なご苦労と「渋沢栄一」に対する並々ならぬ尊敬の念があったのではと思われます。
帰りは往路と同じ道を辿り、無事に岐阜への帰途に着きました。
遅めの夏休みでしたが、天気も良くいい旅でした。今度はどこへ行こうかな(^^)